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月夜の約束

 

 

羿昔九鴉を射落とし

天も人も清く且つ安らかなり

 

その昔弓の名人、羿(げい)は、九つの太陽とその中に住む九羽の鴉を射落とした。

十個の太陽に焼かれていたこの世の万物は、天も人もやっと清らかさと安らぎを取り戻したという。

 

 



 

【一】

闇の中、衣擦れの音だけが聞こえている。

武官らしい大柄な体躯の男は、穏やかな表情で御簾の前に座している。真っ直ぐな瞳をした男だった。

「それでその盗賊というのが――――」

無骨な男に洒落た和歌など詠めるはずもなく、男はひたすら自分の日常を姫に話して聞かせている。

する話といったら、捕まえた夜盗のこと、都の警備のこと、と血生臭い話ばかり。数々の武勇伝が姫君の興味をそそるかといえば大きな謎ではある。

居心地の悪さに咳払いをする。武勇伝には事欠かないが、もともと色恋には縁のない男である。こんな時になるといつも男は、雅やかな自分の親友のことを思い出す。あの男の半分、否、そのまた半分でもいいから自分に雅心という物があったなら、自分の人生は大きく違っていたのではないか。

そんな自分が、こうして姫のいる御簾の前に座っているとは、まさに青天の霹靂だ。

この姫に惹かれているのかと問われれば、男は答えに窮する。ただ、贈られてきた文から香るほのかな香に引き寄せられてしまったのかもしれない。

屋敷を訪れるのは今日で三回目になるが、一度も姫の顔を見たことがないし、声も聞いたことはない。ただ、衣擦れの音だけが姫の存在を知らしめているのだ。

いつもなら隣に控えている女房が何らかの反応を示すはずなのに、今回は何の反応もない。

さすがに心配になった男は、御簾の中へ声をかけた。

「姫、どうかいたしましたか?」

衣擦れの音が響く。

「少将様……」

初めて聞く声は、男の想像していた以上にか細い声だった。

「……恐ろしいのでございます……」

「姫君?」

御簾の向こうで、細い肩が震えている。

「魔物が……」

魔物、と聞いて男は眉間に皺を刻んだ。自分の理解できないことなど、大嫌いなのだ。中でもこの所都を騒がせている物の怪や鬼の噂。人々はありもしない影に怯え、暗がりを恐れる。

「姫、魔物など――――」

「恐ろしい魔物が、私を喰らいに参ります……」

轟と風が鳴った。

 

 

総毛立った。

武道を心得ている自分が、一切気配を感じなかったのである。

それなのに、確かに。

薄暗いに庭に人が立っている。

月明かりもなく、その顔を見ることはできないが、豊かな黒髪が風に靡いた。

「女―――?」

男の声に人影は小さく舌打ちし、姿を消す。

「姫君、ご安心ください。この富田(とみた)(ゆき)(なり)、必ず姫君をお護りいたします」

低い声でそう告げると、男は立ち上がった。自分が彼女のために出来ることといえば、これくらいしかないのかもしれない。それでも、姫君の不安が少しでも拭えるならそれでいい。

 

 

 

愛馬を走らせると、春とはいえ冷たい風が頬に刺さる。自分には、御簾の前で悠長に和歌など詠むよりも、こっちの方がよっぽど似合っていると思う。

己の体以外は全て闇。馬の蹄の音だけが響く底なしの闇の中、ただ白い衣だけを追いかけた。

驚いたことに、いくら馬を走らせても幸成は一向に人影に追いつくことができない。

「魔物か何か知らぬが、逃がすものか!」

武芸にかけては右に出る者なしと謳われる近衛少将である。

幸成はギリギリまで引き絞った弓を影に向かって勢いよく放った。

ヒュン!

闇を切り裂いた弓は、何の手ごたえもないまま闇の中に消える。

「……俺の腕も落ちたものだな」

一人皮肉を呟くが、影はもうどこにも見当たらない。

この平安の闇の中、白い衣は目立つであろうに一体どこに消えたというのか。

馬の頭を廻らせるが、静かな闇が続くばかりである。

その時。

「誰かをお探しか?」

頭上から声がした。

凛とした女の声。

月が顔を出す。

いた。

幸成を見下ろすようにして。大路の塀の上に。

声の方向を見上げた幸成は、思わず言葉を失った。

それ自体が発光しているかのように、淡い輝きを放つ狩衣を纏った女。月に照らしだされたその容貌に息を飲む。

透けるように白い肌に、ぬばたまの髪を靡かせて、女は闇に立つ。整いすぎたその容姿は、人というには……冷たすぎる。

そして、印象的な瞳。闇に紫色の瞳が輝いている。幸成は、今まで一度もそんな色の瞳をした人間に会ったことがなかった。断じて一度も。

「お前……物の怪かっ!」

女は不敵な笑みを浮かべた。

「さて、いかがなものか」

濡れた双眸は、不思議な光を湛えながら幸成を捉える。

女の鬢削ぎにした下がり端の髪が、さらりと揺れた。

富田(とみた)(ゆき)(なり)殿」

「何故、俺の名を……」

女の瞳が細められる。闇に舞い散る桜のように白い手が、幸成を指差した。

「恐ろしい運命が待っております」

「え……」

女は振り返りもせずに、トンと地面を蹴った。

ふわり。

まるで風に吹かれた花弁のように、女の体は飛び上がった。

幸成はただ唖然とその場に立ち尽くした。闇夜を眺めたまま、動くことが出来なかった。

 

 

 

 

あれ以来、何度訪れても姫は怯えるばかりで、一向に心休まる様子がない。このままでは、姫の身体が持たないだろう。

幸成には、こんな時怯える姫君に何と声をかけていいのかさっぱり分からない。他のことには目もくれずに武芸にばかり勤しんでいた自分を呪うばかりだ。こんな時は、自分より色恋に詳しい男にお伺いを立てるのが得策だろう。

ギィ〜。

重い扉が音を立てて開いた。

その前に立っているのは、薄桃色の女房装束をふわりと纏った女。能面のようなその顔には何とも言えぬ気品が漂っている。

静かな場所だった。右京だというのに、そこだけは時間が留まっているようだ。

幸成は土産物を片手に、柄にも無くかしこまった。

「御用は……」

「高明殿がこちらにいると伺ったのだが」

笑うと、日に焼けた顔に白い歯が覗く。

「かしこまりました」

幸成は不思議そうに辺りをきょろきょろと眺め回した後、女房の姿が見えなくなるのにはっとして後を追った。

 

 

「幸成」

その声に、幸成は大きな体に似合わぬほどの人懐っこい笑みで答える。

そこに座しているのは、(ふじ)()高明(たかあきら)。部屋には、彼の他には全くと言ってもいいほど何もない。

自分が座っていたらただの殺風景な部屋であろうに、そこに納まっても様になる友人を見て、幸成は苦笑した。

輝くような美しさで、宮中の話題を独占している光の君。雅を好み武芸も達者な若者は、男たちの羨望を集め、女たちにため息をつかせた。宮中一の浮き名を流していた彼も、このところはめっきり浮いた噂を聞かなくなっていた。

「たまには酒でも飲もうと思って屋敷を訪れたのだが、この右京の屋敷だと聞いてな。牛飼いの少年に案内してもらったのだ」

高明に勧められて隣の円座に座した幸成は、改めて辺りを見渡す。

「右京にこのような所があろうとはなあ……」

手の行き届いた庭。澄んだ池。廃れた外観からは思いも寄らない。

幸成は正直、あの光の君が右京に入り浸っていると聞いて、信じられない思いだったのだ。

「この屋敷のどこかに光君の御眼鏡に適った姫君がいるのだろう?」

近衛少将は、にやりと笑い、高明の肩をポンッと小突く。

どれほどの女ならば、この青年を満足させることができるのだろう。時折ひどく孤独な目をするこの青年の望むような姫君など、きっとこの平安都のどこを探してもいないのではないかと思っていた。

「高明、今日来たのは他でもない。少し相談事があるのだ」

酒で口を濡らしながら、幸成は高明に姫の話を詳しく聞かせた。魔物などいるわけがないと、驚いて呆れ果てるに違いないと思っていたが、意外にも高明は真面目な顔で話を聞いている。

「どう思う?」

神妙な顔で尋ねると、高明はしばらく考えた後、大きな声で呼びかけた。

「藤波、松波。水月殿を呼んで来ておくれ」

「おい、高明。誰かいるのか?」

人の気配くらいは読めるつもりである。この屋敷には、全くといって良いほど人の気配がない。少なくとも、声の届く範囲に人などいるはずがなかった。

「は〜〜〜い!」

幸成の予想に反して、すぐ近くから童女の声が聞こえてきた。

「藤波に今度絵巻を読んでね」

「松波は双六がしたいの」

苦笑しながら高明が答える。

「ああ、約束しよう」

続けざまにパタパタと童女の足音が遠ざかって行く。

幸成が呆気に取られていると、今度は女が現れた。

「お客様ですか?」

凛とした声の主に、幸成は思わず腰の刀に手をかけた。

見紛うはずもない。

淡雪のような肌と豊かな黒髪。そしてその瞳。あの晩のように紫に輝いてこそいないが、人を射抜くような強い瞳はそのままだった。

そこに立っているのは……あの晩の女。姫君の命を狙っているという魔物―――。

「彼は富田幸成。近衛少将、弓の名手です。幸成の武勇伝は、巷でも有名でして、羿(げい)少将と名高いのですよ」

高明の紹介に、女はニコリと微笑む。

光の中で見るその姿は、先日の晩と随分違った。その姿が魔物に見えたのは、月が見せた幻だとでも言うのか。

「羿というと……あの、太陽を射落としたという?」

「ええ。堯帝の頃、天に十個の太陽が現れ、地上の万物は熱に焼かれて苦しんだ。堯帝は、弓の名手羿に命じ、九つを射落とさせた」

「ほぅ。羿少将、今度は魔物を射落とすおつもりか……」

女が幸成を見つめ、目を細める。

どこまでも深い女の瞳が、幸成を射抜いた。

ギクリとするとは、このことなのかもしれない。

「高明―――」

言いかけて、澱んだ。

親友の穏やかな瞳に、言葉を呑み込んでしまう。並外れた美しい顔に、いつも乾いた瞳を持っていたこの男は、いつからこんな顔をするようになったのか。

「今日は……失礼する」

珍しく無口になった幸成を、高明は不思議そうに見ていたが今の幸成にはそれを気にする余裕がなかった。

あの冷たい瞳が、幸成を見ているのだ。

恐ろしいほどに澄み切ったあの瞳が……。

 

 

 

【二】

 

幸成は、女房に導かれて闇の中を進んでいた。

背中に弓矢を携えた武官らしい体躯が、堂々と渡殿を歩く。

屋敷に足を踏み入れた幸成の前に、まるで幸成が来るのを待っていたかのように一人の女房が現れたのである。

女房は、渡殿を歩き、妻戸と呼ばれる両開きの板戸を抜け、廂に至る。女房はそこで立ち止まり、静かに頭を下げると、何も言わずにしずしずと下がって行った。

夜だというのに、蔀が上げられており、屋敷の中へ青白い月明かりが差し込んでいる。外を見やれば、忌々しいほど枝を広げた桜が、闇に白く浮かんでいる。

……まさか、あの姫は初めから全て知っていたとでもいうのだろうか? 幸成が今日ここに訪ねて来ることを初めから全て――。

ゾクリと背が粟立った。

さらさらと舞い散る桜を眺めながら、昨日幸成と話したちょうどその場に女は座していた。

漆黒の髪や、白い衣に桜の花びらが舞い落ちる。

下がり端の髪が春風に吹かれ、淡雪のような頬をくすぐる。

あまりに幻想的な光景。しかし、そこに親友の姿がないだけで、彼女の現実味は急に薄れてしまう。

人というには美しすぎる。哀しいほどに美しいそれは―――魔物か。

「そろそろいらっしゃるだろうと思っていたのです」

正義感の塊のような男は厳しい表情を崩さなかった。

「親友なのです」

実直なこの男は、単刀直入な方法しか知らない。今までもこれからも、それだけが彼の取り柄なのだ。

「高明は俺の――――大事な親友なのです。どうか傷つけないでいただきたい」

女は答えなかった。代わりにわずかに口元を綻ばせるだけの、微かな笑顔を見せた。穏やかな笑顔は、悲しげな笑顔でもあった。

「その弓矢で、私を射るおつもりですか?」

姫は桜を見つめたまま話した。

涼やかな声が闇に響く。

闇夜で見る姫の瞳は、確かに人のそれとは違っていた。深い紫色の瞳が、薄桃色の桜の花弁を写している。

「それとも正義感に溢れた羿少将は、目の前の魔物をみすみす見逃すと?」

「あなたは親友の大切な人です」

幸成は微笑んだ。

「俺はただ、高明を傷つけてほしくないだけなのです。貴女が魔物であろうとなかろうと、あとは俺のあずかり知らぬこと。しかし、姫君」

屈託のない笑顔には、計算も、裏もない。

「もしも、貴女があの姫を再び危険にさらすようなことがあれば、俺はたとえ高明の大切な方であろうと容赦しない」

そうとだけ言と、幸成は女に背を向けた。広くて、嘘など知らない背中は闇の中に消えていく。

「……哀しいことです」

女は自虐的な笑みを浮かべた。

繰り返される運命の歯車。それは、永遠に解けることのない呪縛。

己の生さえも古の昔に動き出した歯車の一部に過ぎないのだ。昔話の鬼の呪に――。

「まるで、昔話のようですね」

女が桜にそっとそう呟いたことは誰も知らない。

 

 

 

「姫君、あれから、お変わりありませんか?」

御簾の中で、姫が僅かにたじろいだのが分かる。焚き染められた香が、幸成の鼻をくすぐった。

「恐ろしいのでございます……」

「魔物などと、きっと夢でございます。全て忘れてしまうといい」

何の気休めにもならないことは分かっていながら、幸成は姫にそう言い聞かせた。その言葉は、もしかしたら自分に向けた言葉なのかもしれなかった。

魔物など、いるはずがないのだ。いるかもしれないと思う人間の心が病みの片隅に魔物を作る。いるはずもないと思えば、魔物などどこにもいないのだ。

馬鹿げているではないか。

親友の想い人が魔物だなどと……。

「いずれ……魔物は私を殺すでしょう」

か細い声が震えていた。

冷たい瞳の女が脳裏を過ぎる。紫の双眸で闇夜を見つめる女は、何と強い目をしているのだろう。

それに比べて、この姫君は何と弱々しく、儚げなのだろう。護ってやらねば咲けない小さな花のような。

「必ず、俺が救ってさしあげる」

幸成は、閉じていた目を静かに開けた。

庭に確かに感じる人の気配。弓を握り締める。

「ああ、私を…殺しに……」

どうか。

どうか、その人影があの姫ではないように、と幸成は心の中で願った。親友が唯一本当の笑顔を見せる姫君ではないように。

月が顔を出し、女の姿を映し出す。

白い衣が輝いた。

「……御忠告申し上げたはずだ」

低い声に、女は身じろぎもしない。

あの日のままの清らかさで、女が立っている。豊かな髪を風が吹きぬけ、白い狩衣の袖が靡いた。

「これが運命でございます、幸成殿」

静かな声だった。女は冷たい紫電の瞳で幸成の後ろ、御簾の中を見据えている。

「縛!」

女が手刀で空を切る。

「キャァ!!!」

「姫君!!」

つがえた弓矢を、限界まで引き絞った。

人形のように整った女の姿に親友の笑顔が重なったが、それでも幸成は女に向けた弓を緩めない。

女が宙を舞おうとした瞬間。

ヒュン!

捕らえた!

真っ直ぐに進んでくる弓矢に、白い姿がギクリと宙で止まる。

キン!

女を射抜くはずの弓矢は、寸でのところで割って入った剣になぎ払われた。

現れた背の高い影は、女を後ろに庇いながら剣を構える。

「羿少将、おぬしの目は節穴か」

「高明! その女は――――」

「黙れ!!」

現れた男は、珍しく声を荒げ、秀麗な顔に怒りを滲ませている。

「高明、お前は俺の親友だ。しかし、高明。お前が選んだその姫はな―――――」

夜の都に車を走らせ、月夜に姫君を追い求めていた男が、選んだただ一人。あの冷たい目をした姫君は本当は――――。

「幸成、よく考えよ」

「何を……」

高明は幸成の更に向こう、御簾の中を睨んでいる。

月に照らされた男と女。作り物のように整いすぎた二人。二人の天人はぞっとするほど清らかで、その姿は魔物の―――――。

「まさか―――――」

 

 

「きゃぁぁぁぁあ!!!!!!」

ガサガサ……。

突然悲鳴が闇夜を切り裂いた。

「なっ…!」

振り返った幸成は、言葉を発することができなかった。

目の前、御簾の前に立っているのは………。

鮮血を浴びながら立っているのは、巨大な――――蜘蛛。

『桜は、何故赤いかご存知?』

聞き覚えのある細い声。

「ああ―――」

それは、見たこともないほどに醜悪な光景だった。

闇に立ちふさがる巨大な蜘蛛の頭部は、人間のそれだった。女の頭を持ったそれの無数の足が闇に蠢き、足元には食い千切られた手足が無残に転がっている。

「ああ―――」

幸成の口から意味のない言葉が発せられる。信じることを拒否するには、はっきりし過ぎていた。

「そんな……」

『同じことですわ、羿少将。あなたが信じようが、信じまいが』

蜘蛛の口から発せられるのは、何度も聞いた姫の声。

ああ……。

自分は……。

あの心優しい親友は。

そしてあの冷たい瞳の天女は。

「本当はあなたが――――」

『可哀そうな少将様。貴方なら忌々しいその女を殺してくださると思ったのに……ねぇ、少将様』

シュル……。

女の口から伸びてきた白い糸が、幸成の手に絡みついてきた。粘着質の蜘蛛の糸は彼の体を捕らえ、グイグイと蜘蛛の方へと引き寄せようとする。

必死で抵抗する幸成だが、鍛え上げられた腕力を以ってしても糸を千切ることはできない。

「……っ」

糸は次々に伸び、手足に絡まり、幸成の自由を奪う。

「幸成!」

高明の振りかざした剣が、月光を帯びたように不思議な色を映す。刀は幸成を捕らえている蜘蛛の糸を両断した。

高明はその勢いで目の前の蜘蛛に斬りかかった。

『ギャァァァ!』

高明に足を断ち切られた蜘蛛が悶える。

女の黒髪は乱れ、カサカサと何本もの足が土をえぐりながら闇に蠢いた。

「や、やめろ! 高明!」

思わず叫んだ幸成の言葉に、高明は振り上げた刀を静かに下ろす。

『同じことですわ……羿少将。今殺されずとも、いずれあの女に殺されましょう』

蜘蛛の糸の呪縛から放たれた幸成は、それでもその場を動かずに醜悪な蜘蛛を見つめた。

「我が心には何の変わりもない。姫君、あなたは俺がお護りする」

「幸成……」

『残念ですが、貴方が死んでも私はまた次の獲物を探します』

「喰らうなら、俺を喰らうといい。俺は、許してさしあげる」

嘘の無い瞳だった。

男は醜悪な蜘蛛を見つめ、愛しそうに目を細める。

「優しい姫君が……お辛かったでしょう」

その刹那。

蜘蛛の足が、高明の剣をなぎ払った。

破魔の刀は空しく地に転がる。

「姫君!」

いくつもの足が容赦なく高明を襲う。

「姫ぇっ!!!」

カサカサ……。

蜘蛛の足を紙一重でかわした高明の頬に、ツゥと一筋の血が流れる。

転がった烏帽子は、無残にも蜘蛛の足に貫かれた。

「くっ……」

女の口から出てきた糸が高明の手に絡まる。

ギリギリで攻撃をかわしていた高明だったが、ついに蜘蛛の糸に手足を絡め捕らえてしまった。

「放せっ!」

もはや身動きも取れない。

女がニヤリと不気味に口を吊り上げた。

ヒュン!

鋭い音が闇を切り裂く。

弓矢が、女の眉間に突き刺さった。

―――――羿 昔 九鴉を射落とし 天も人も清く且つ安らかなり

『ギャァァァァァァ!!!!』

蜘蛛の眉間からシュウシュウと湯気が立ち上り、ガサガサと毛で覆われた足が土を掻きまわした。

きつく高明を絡めていた糸が緩む。

女の瞳が幸成を捕らえ、静かに細められた。

『…貴方を選んだのは…失敗でした』

女が一瞬見せた、安らかな笑みに、彼は気付いただろうか。

『そう……私の人生の中で……一番の……失敗でしたのよ』

やがて巨大な蜘蛛は足掻くのをやめた。

もはや動かなくなった体が、サラサラと砂に代わって行く。

風が吹けば、小さな砂山から砂が流れ落ちた。もはや、醜悪な姿はどこにもない。

蜘蛛はもう二度と動かないだろう。

そして、自分はもう二度と、あのか細い姫の声を聞くことはできないのだ。

「姫君……」

幸成は目の前の砂山を虚ろに眺めた。

木々が風を受けてそよぐ。

誰も何も言わなかった。

雲間から差し込んだ月の光が男達を照らしたが、それでも幸成は砂山を見つめるのを止めなかった。

――――必ず姫君をお護りいたします。

御簾の中で怯えていた細い姿が脳裏をよぎる。

「救いたかったんだ……」

鍛え抜かれた肩が、小さく震えていた。

「ああ、分かっているさ」

心優しい親友は、静かに繰り返した。

「分かっているさ」

守れなかった約束が、幸成を哀しくさせるのだ。

平安京は静かに更けゆく。

主人を失った庭の桜が、ハラリと散った。

 

 

 

 

高明サイドの話へ

 

2004年4月22日

 

【後書き】

読んでくださってありがとうございます。これは前に書いてたシリーズの番外編です。この作品だけで読んでも分かるように書いたつもりです☆

初めに入れたのは、李白の詩です。

幸成は、本当はもっと明るくて、男らしいだけのキャラにする予定だったんです。見事に転びましたね。高明の親友で、私の中では珍しく真っ直ぐキャラ。でも、ただ真っ直ぐなだけではつまらないので、陰を作ってやれ〜と思ってこんな作品になってしまいました。

高明サイドでも同じ話を書いています。二つを読んでやっと一つの話になるっていう感じかな。でも、それぞれ話は別になっています。よかったら見てやってくださいネ♪

 

 

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