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【三、鬼】

六条大路と堀川小路の辻近く。

大慌てで帰ってきた下人は、礼儀も気にせず、主人の下へ駆け寄る。

主人は汚らわしそうに袖で顔を隠し、下人を御簾のすぐ傍まで近寄らせた。下人が何やら耳打ちすると、報告を受けた男は、御簾の中で可笑しそうに喉を鳴らした。

「なるほど。あの『光の君』がな」

含みのある口調でそう言い、主人は再び笑った。

爬虫類を思わせる卑屈な目をした男だった。父の後を継いで一族の長となるはずの男であるのに、その瞳からは何故か敗者の卑屈さが見て取れる。

「『夜叉姫』に『光の君』か。これはなかなか面白いことになりそうだ。あやつには、一度よく解らせねばならぬ。愚かな者よなぁ。まだ己の存在が何であるか分かっていないと見える」

 御簾の中からの含み笑いに、下人は不思議そうな顔を向ける。

「何故そのように関心を持たれるのです?」

 高貴な者と話したこともないであろう下人に、主人は持っていた扇を投げつけた。扇は御簾にぶつかって床へと落ちる。

「無礼者! 身分をわきまえよ!」

 下人は慌てて平伏する。

「あのような物の怪、長く生かしておけば一族の名誉に関わる。そんなことも分からぬか! この愚か者!」

 男の名は橘 典正(のりまさ)。橘一族は、受領を務めている典正の父を筆頭に、うだつの上がらない生活をしている。勿論、貴族の位は得ていない。

 典正もまた平凡な男であった。政治面に優れた力を持っているわけでもなく、歌人として名を轟かせているわけでもない。爬虫類のような目と、病的に嫌っている姫がいるという点を除けば、彼は平凡なただの男であった。

「しかし……姫様は何も……」

その口答えに、典正は厳しい視線を投げかける。

「たわけ! 何かあってからでは遅いのだ!」

 怒鳴り声が閑静な屋敷に響き渡り、館中の人間がしん、と静まり返った。

 その時。

 突然、気味の悪い風が吹く。

 屋敷が一瞬、暗黒の世界に飲み込まれたようだった。

「その通り」

 聞こえてきた低い声に、典正は驚いて当たりを見回す。確かに今まで、そこには誰もいなかったはずだ。

 目を凝らせば、襖障子の向こうに見える黒い影。

「……何者だ!」

 微かな衣擦れの音と共に、その影は襖障子から姿を現した。

 緊張した雰囲気の中、辺りを全く気に留めていないように現れた一人の男。烏帽子を被り、たいそう質の良い衣を纏っている。その衣の色は、許された者しか着ることの出来ない深紫の……。

「禁色の……」

 唖然とそんな言葉が漏れる。

 男は、中央の御簾から少し離れた所に座り、畏まった。

 御簾越しで顔ははっきりと見えなかった。御簾の向こうで震えている下人ははっきりと見えるのに、男の姿だけが曖昧でぼんやりとしている。

 見えない。

 否、確かに見えている。見えているのに、その姿は何故だかはっきりしないのだ。

「貴方は一体……」

「お主と同じ目的を持った者、とでも申そうか」

 淡々とした低い声で男は告げる。

 典正は、爬虫類を思わせる瞳をピクリと神経質に動かした。

「何を仰って……?」

「隠しても分かる。妹君が邪魔なのだろう?」

 典正は言葉に詰まった。

 突然現れたこの男は一体……。

「何を馬鹿な……私はただ、我が一族のために……」

「笑わせる」

 典正の言葉を、男はその一言で撥ね退けた。

「愚弄いたす気か……!」

 気圧されたことを悟られまいと叫んだ典正に、男が顔を上げる。

「……な、何だその目は? ……何が言いたい……」

 気味の悪い瞳だった。良く見えないのに、凍った瞳だけがしっかりと感じられる。

 隣で震えていた下人は、無表情な男の唇が、陰湿に釣り上げられるのを見た。確かに見たのだ。

下人は震えが止まらなくなっていた。主人などより、隣に座っているこの男の方がよっぽど恐ろしい。

見えない……。否、違う。見たのだ、男の唇が不気味に笑ったのを。まるでこの世の者ではないように……。

「しかし、お主と私とは、目的は同じだが、理由が違う。私は妹君が気に入っておるのだよ」

「気に入って……? それなら、すぐにでもくれてやろう! そうだ、あのような者がいても一族の恥となるだけ」

 男は嘲笑うように口の端を吊り上げる。

 典正の背中を冷や汗が流れ落ちた。

「あの姫君は本当に美しい。震えている……己の闇に、己の鬼に」

 男はくくっと喉を鳴らす。

「一体何の話を……」

「お主にも、一度だけ機会を与えてやろう」

「機会?」

 典正がそのまま鸚鵡返しをする。

「そう、お主など、すぐにでも食らってやろうと思うたが、あの姫の兄君なら話が早い。協力していただこうではないか。申しておくが、断わることは許さぬぞ」

 鋭い瞳でそう睨まれては、典正にはもうどうしようもなかった。

「協力といったって……一体何を……」

「お主が思っていることをすればいい。ただそれだけだ」

男はすっと立ち上がり、御簾に背を向けた。禁色の衣が襖障子の向こうに消える前に、典正は問いかける。

「どういうことだ!」

 男の背中は立ち止まる。

「……陰の心が私を呼ぶのだ。平安の人間は愚かよなあ。鬼を宿した者などいくらでもいる」

「陰の心……?」

 男はしばらくそうして立っていたが、やがてゆっくりと振り返った。

 顔が見えない。薄闇の中、曖昧な影しか見えない。瞳が――否、瞳も見えないはずだ。

「失敗するがいい。もう後などないぞ」

 闇の底の唸り声に似た声音だった。

 御簾の中で典正は無意識に己の体を抱きしめていた。そうでもしなければ震えが止まらないのだ。

 男はまた背を向けると、去って行った。

 

 男の姿がすっかり消えてしまってから、典正は自分を抱きしめている腕を放した。

(どうしたというのだ?)

 今までどんな人間に会っても、こんな恐怖を感じたことはなかった。訳もない恐怖が駆け巡る。

 何を恐れるのだ? 一体何を……?

「もうよい。下がれ」

 搾り出すような主人の声に、下人は逃げるようにその場を去っていく。

 その場に残された主人は、苦々しい顔で唇を噛み締めた。

(似ている)

 典正は嫌なことを思い出し、自分が御簾に投げつけた扇を弄んだ。

 あの威圧感、射るような眼差し。そして、瞳は典正に無言で告げる。

―――――愚か者。

 苛立ちに任せて立ち上がった典正は、バサリと御簾を上げた。外の世界の空気を吸い込む。

 今の出来事を思い出しながら、彼は渡殿を歩き出した。

 御簾の外の世界は、典正を不快にさせた。なぜなら、打ち震えている下人を見ていると、典正はその姿の向こうに、他の誰かを見ずにはいられないのだ。射る様な瞳に曝された男。澄んだ月の眼差しに、己の醜さを悟ったように縮こまる。俗悪で卑屈で無能で無教養で、その姿はまるで……。

 ふと立ち止まった典正は、一時何か思い出したように苦々しい表情を浮かべたが、再び歩き出した。

 ―――――何故、そのように関心を持たれるのです?

 その言葉は、薄幸な姫に同情した者に何度か尋ねられた言葉だった。しかし、典正は今まで一度たりとて本当の理由を告げたことはない。

(何故そんなに執着するか、だと?)

 爬虫類の瞳に、卑屈な色が幾分か強くなったように見える。

(気に入らぬからに決まっている)

 気に入らない。人を見下したようなあの瞳。

 あの瞳が、全て見透かしたように自分を見つめるのが我慢ならなかった。

―――――愚か者。

黙ったまま、あの瞳はそう告げる。

 いつだったか、その瞳に嫌悪感を覚え始めたのは。あれは確か、まだ元服前のこと。小さな少女に初めて手を上げた。驚いたことに小さな妹は泣きも騒ぎもしなかった。ただ、妹は黙ってじっと自分を見つめる。

何も言わぬまま、抗議の、否、蔑みの目で見つめられるのは我慢が出来なかった。器の小さな男と罵られる方がまだましだ。

 彼女は今、一族から離れ、右京の外れで暮らしている。世話をする女房もいないのだ。その暮らしぶりが穏やかであるはずがない。

 彼女を右京に追いやった自分を悪く言う者もいたが、彼女の気味の悪い噂がそれをかき消してくれた。

(何が可愛そうなものか。誰にだって気に入らぬ奴の一人や二人)

 誰でも同じだ、と典正は思う。

 それがただ、腹違いの妹だったというだけだ。

 

*    *    * 

 

高明は、毎日のように彼女の屋敷へと通うようになった。仕事で行けない時は、使いの者に花を添えた文を持って行かせる。しかし、姫からの返事は来るはずもなく、高明を迎える女房の表情にも変化は見られない。相変わらずの門前払いだが、それでもよかった。

心のどこかでこんなことをしている自分が嬉しかったのかもしれない。まだ自分にもこんな気持ちが残っていたのだ。そう確認できる。

「今日もお出かけか?」

女房が表情を変える様子はない。気品はあるが、能面のような顔は静かに高明を見つめている。

今日もダメか。

高明が諦めて牛車に乗り込もうとしたその時、桜襲の女房の後ろから、一人の女が姿を現した。

「藤穂高明様」

 呼びとめられ、高明は女に目を移す。

 女房装束を纏った中年の女は、高明に会釈をすると小さく微笑んだ。

「この屋敷の全てを任されております、女房の花巻(はなまき)と申します」

彼女はじっと高明を見つめた。

「毎日いらしているというのは本当のようですね。童にでも頼めばいいものを」

その言葉に高明は顔を赤らめた。そんな高明にふっと顔を綻ばせると、花巻は桜襲の女房をその場から下がらせる。

「あの者には、他に何も申すなと硬く申し付けてありましたので、大変失礼なことをいたしました」

花巻は大してすまなそうでもなく、そう言うと、高明を屋敷の中へと招き入れた。

 

先日と同じ部屋に高明を案内すると、花巻はその場を去って行った。この屋敷に来ては狼狽するだけ無駄だということが分かっていたので、高明は言われるままにそこに座す。

しばらくして、衣擦れの音と共に白い影が現れた。

姫はあの日と変わらぬ姿で高明の前に立っている。しかし、高明の期待とは裏腹に、彼女の表情も桜の襲の女房と大して変わらなかった。出会った晩と同じ、否、それ以上に彼女の表情に憂いが表れているように見える。うっすらと桜色に色づいているはずの頬にも血の気がない。身体の具合でも悪いのだろうか。

「何か、あったのですか?」

蒼白な彼女は、高明の問いに一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに首を振った。

「いいえ、何もございません。そういえば、ここの所、お花を届けていただいたそうで」

 姫は表情の無いまま、事務的に言葉を紡ぎ出した。

「ええ。庭先に咲いていたものですから、是非見ていただきたいと思いまして」

 差し出した花を、彼女が受け取る。

「……ありがとう」

花に目を細めながら、少しだけ照れたような彼女の様子に、高明は満面の笑みを浮かべた。心が暖かくなっていく。

「お名前を教えていただけませんか?」

高明は慎重に、しかし、しっかりと尋ねた。

「……水月。(たちばな)水月(みずき)と申します」

彼女はそして、あの氷のような冷たい表情に変った。

「何か御用があったのでしょう?」

「ええ」

 すうっと息を吸い込むと、高明は真剣な顔つきで水月を見据えた。

「月ばかり見つめていた私は、ここで、あなたに出会うことが出来た。それからというもの、あなたに会えない間は、あなたが帰ってしまわないか不安でたまらなくなってしまった」

「帰る?」

 高明は少しだけ照れたように微笑む。

「笑わずに聞いていただけますか?」

「?」

「……天女のようだと思ったのです」

「天女?」

 思わず聞き返した水月に、高明は頷いて微笑んだ。

「初めて会った時、そう思ったのです。だから、目が離せない。いつでも捕まえておかないと、あなたは月に帰ってしまう」

 ふわりと風が吹けば、彼女が帰ってしまうのではないか、と不安になった。

「私は――」

姫の顔に浮かんでいたのは、意外にも悲しそうな色。

「―――そんなに清らかな生き物ではないのですよ……」

 水月は、額に手を当てると、全てを馬鹿にしているように笑って見せた。

「私をからかうおつもりか?」

「からかう?」

 水月は、自虐的な笑いを浮かべたまま話した。

「私などにかまっていかがなさる? ここは、貴方のように身分ある方の遊びに来るような所ではありません」

「理屈ではないです。私にも理由など分かりません。しかし、私はあなたに出会った。都中を探しても見つからなかった姫を、この屋敷で見つけたのです!」

彼女は急に大声で笑い出した。その笑いは狂気にも似ていた。

彼女が笑っているのは目の前の愚かな青年か。貴族達か。人間達か。それとも彼女自身なのだろうか。

「『夜叉姫』は人の生き血を啜るのと言います。私といては、死んでしまいますよ?」

「水月殿!」

 高明は思わず声を荒げて叫んでいた。笑い声はピタリと止む。

彼女は急に現実に戻ってきたかのように話し出した。

「私をからかってお笑いになるつもりなら、さっさとお帰りになった方がよい。何度来られても同じこと。私は誰も信じない」

「……何故そんなに一人になろうとなさる? 何故全てをそこまで嫌われるのです?」

彼女はやけに落ち着いた静かな声で答えた。

「『夜叉』とは天竺の悪鬼。醜い容姿で、人を害する……私は化け物。あなた方とは違うのです」

 凍ったような声だった。心に突き刺さる。

 ―――――私は化け物。

 その言葉が胸に響いた。水月が時折見せたあの哀しそうな瞳が思い出される。

思わず顔を歪めた高明を、水月が小さく笑った。

「そのような顔をなされずとも平気です。この世には、確かな物など何もないのですから……」

 聞き返そうとした高明は、一瞬にして張り詰めた水月の持つ空気に口を噤んだ。

 水月は急に庭の方角を見つめる。深い色の瞳が探るように辺りを見渡している。

「……水月殿?」

高明は思わず彼女を覗き込む。

「どうかなされたのですか? ご気分でも?」

水月はそれには答えずに、襖障子を開け放った。

ふっと灯台の火が消える。

「私のことなどより、ご自分のことを考えた方が賢明ですわ。だから申したではありませんか。しばらくそこでじっとしていてください」

暗闇に目が慣れないまま、彼女の声だけが聞こえてきた。

「隠れてないで出て参れ!!」

ドシン……ドシン……

何かが土を踏む鈍い音が聞こえてくる。今までこんなに不気味な足音は聞いたことがなかった。

しんと静まり返った闇に、やがて何者かの息遣いが聞こえてくる。

ザアアアッ……

風に桜が舞い散った。月が顔を出したのか、辺りは青く照らし出される。

「……っ!」

 高明は息を飲んだ。

 桜吹雪の中、月に照らされ、そこに立っているのは――――。

 

*    *    *

 

 青白い月明かりが世界を不気味に照らし出している。

 あまりにも信じ難い光景だった。

 金色にらんらんと輝く瞳。耳まで裂けた口。丸太のように太い手足。桜色の闇に立っている物、この世に在らざる者。血色の――鬼だ。

その瞳は、此方を伺っているというにはあまりに攻撃的すぎる。

 殺気だ。隠そうともしない確かな殺気がそこにはある。

高明は腰が抜けるどころか、動くこともできなくなった。

鬼はやがて、地響きにも似た唸り声を上げる。大地が振動した。唸り声は、腹の中まで響いてくる。

『……殺シテクレル!』

 地を這うような不気味な声が聞こえてくる。

「……人語も操るとは見上げたものよ」

 水月はそう毒づくと、醜い鬼の前に進み出た。

 鬼は天に向かって咆哮すると、その巨体からは想像できない速さで彼女に突進して来る。鋭く伸びた爪がギラリと光る。

「……水月殿!!」

白い衣がひらりと宙を舞った。

鬼の爪を紙一重でかわした彼女は、軽やかに庭に降り立つ。

鬼はまたも彼女目掛けて走り出した。あの巨体にぶつかられたらひとたまりも無い。

「うるさい鬼だ」

彼女は胸の前で腕を組み、目を閉じた。

(……ぶつかる!!)

鬼と彼女がぶつかったのと、彼女が目を開けたのとはおそらく同時だった。

「光!」

閃光が闇を飲み込む。昼間よりも、眩い光が辺りを包み込む。全ての影という影は消え、辺りは真っ白になった。

温かい光ではなかった。冷たい光だ。凍てついた月の光が降り注ぐ。

『グアアアア!!!』

鬼の断末魔がこだまする。

「消え失せろ」

水月は泥人形のようにボロリと崩れ去って行く鬼を一瞥し、冷たい声色で言い放った。

光が治まる。

そこに鬼の姿は無い。一山の灰が積もっている。

灰は、風に吹かれて跡形も無く消え去った。

「……愚か者が」

背筋が凍った。

冷ややかなその瞳は、灰になった鬼にまでも慈悲の色を映してはいない。

高明は情けなくも、その場にへたり込んだ。足に力が入らない。目の前に現れた鬼。存在すら信じていなかったそれが、高明の前で塵と化したのだ。

彼女はそんな高明に一瞬寂しそうな眼差しを向けた。しかし、それもすぐに冷たさという雲に隠れてしまう。

「申したでしょう? 闇に潜むのは夜盗だけとは限らぬと」

 高明は何も答えない。彼はまだ混乱していた。

「……こんなに恐ろしい女やめておきなさい。鬼になりたくなくば、私には近づかぬ方が良い」

高明の口からは搾り出すような声が聞こえてくる。

「……あなたは……あんなに恐ろしい化け物達とずっと一人で戦っていこうと?」

彼女は口の端を上げ、不敵に微笑んだ。

「『夜叉姫』は、生きながらにして既に鬼。あの鬼よりも、私の方がはるかに恐ろしいのかもしれませんよ」

震えが止まらなくなっているのが分かった。鬼に震えているのか、彼女の瞳に震えているのか、高明には区別がつかない。

全ての物が現実からはかけ離れているように思われる。

目の前で起きた出来事。そして、今微笑んでいる少女。

月明かりに照らし出されたその瞳は確かに、藤の花を映したように深い紫色に変化している。高明は、今まで一度たりとてそんな色の瞳をした人間を見たことが無かった。断じて、一度も。

―――――あの女は化け物だ。

友人の言葉が頭をよぎる。

彼女は庭の桜に目をやりながら、静かにはっきりとしゃべった。表情は見えない。

 水月の背中は何故かとても寂しそうに見えた。そしてひどく切なく見える。

「高明殿、あなたの瞳の色は優しすぎる……。それは恋ではないのです」

「私の言っていることを偽りだと?」

彼女は黙って首を振った。

「……偽りだとは申しません。しかし、それは恋ではないのです」

「恋ではない?」

「あなたの瞳は優しすぎる。可哀想な女に同情したのでしょう? 可笑しな女を哀れだと、救ってやろうと思いましたか」

「……ちがっ……」

彼女はなおも続けた。

「何故あなたがそう思ったか分かりますか? このように荒れた屋敷に住む悲惨な生活に同情した。確かにそれもあるでしょう」

彼女は桜を背に、くるりと振り返った。

「私を他と違う、と一番に思っていたのはあなたなのです。だから同情した。可笑しな化け物だと思ったのでしょう?」

「違う!」

高明は思わず立ち上がった。立ち上がってみると、彼女は高明よりも頭一個以上小さい。細い肩だ。こんなに儚げで、小さな少女にどうしてこんな瞳ができるのか。高明はたまらなくなった。

彼女は何も聞きたくないというように首を振った。

「同情ですよ。そんなのただの同情です」

「違います!!」

高明は彼女を抱き寄せた。鬼を簡単に退治した彼女も、力では敵わない。

彼女は敵わないと分かると、たいした抵抗もしなくなり、腕の中にすっぽりと収まった。

「お願いですから、そんな目をしないでください」

搾り出すような低い声に水月は顔を上げた。

「……私はあなたに同情されるほど可哀想ではない」

紫の瞳は真っ直ぐに高明を見上げている。何者も寄せ付けない強い光がそこにはあった。

水月は高明の腕をするりと抜ける。

「……信じてはもらえないのか?」

背中への問いには、何の答えも帰ってこない。

「……水月殿……」

はらり、と桜が散る。薄紅色のはずの桜は、闇に白く寂しく散っている。

「どうしたら信じていただける?」

振り返らずに首をふる。

「どうしようと、人など信じません」

彼女は自分に言い聞かせているかのようにそう呟く。

「もうお帰りください」

彼女は背を向けたままそう言った。寂しすぎるその背中は懸命に耐えようとしているのかもしれない。

孤独という暗闇に。

「……今日は失礼いたします。また……参りますから……」

彼女の背中にそう呼びかけ、高明は歩き出した。

 

 

「……高明様?」

無表情で屋敷から出てきた高明を心配し、清彦が声を掛けた。

「高明様? どうかなさったのですか?」

高明は薄っすらと微笑んだ。頼りない、弱々しい笑み。あの光の君とはとても思えない。

月の女神にはなかなか手が届かない。女神は手を差し伸べても気付いてはくださらないのだ……」

 

私に気付いてくれ 手を差し伸べてくれ

決して独りにはしないから 悲しい思いはさせないから

此方を向いてくれ 暗闇から連れ出してくれ

その瞳で その強さで

私をここから救い出してくれ

その紫電の瞳で

「……」

水月は、桜を見上げた。

先刻帰っていった青年の言葉が脳裏を過る。

―――――私は本気なのです。

―――――どうしたら信じていただける?

迷いのない瞳は曇りがない。影がない。

舞い散る桜の花びらに手を差し出すと、花びらは手の上に舞い降りる。

「……分かっているよ。愚かなことだ」

彼女は桜にそっと呟く。

庭に出ると、冷たい空気が体を覆った。

 ―――――信じてはもらえないのか?

庭に掛かっている太鼓橋の上から、池を覗き込む。

鏡のように凪いだ池の中で、今にも泣きそうな少女が引きつった笑いを浮かべている。

「ひどい顔だな……」

桜の花びらが落ち、静かだった水面に波紋が広がる。数々の出来事が浮かんでは消え、また浮かぶ。

水面にはゆらゆらと彼らの顔が浮かんでいる。水月の手にかかって灰となった異形の者達。その瞳は、水月を責めているというのか。水底の、黄泉の国から……?

多くの瞳が、何も出来なかった水月を責める。

『……夜叉姫……』

池の中の瞳が呟く。

ずるり、と幾千もの手が、水月を水底に引きずり込もうと池から這い出して来た。

はっとした水月が腕を振り払うと、それは跡形も無く消え去る。

不気味な静寂の後に訪れるのは、無念の嘆き。水底の住人は、悲しそうに顔を歪めると、無念そうに呟き合う。

『哀しいなあ……』

『苦しいなあ……』

 いくつもの声は、大きな渦となって水月を飲みこもうとする。

『何故、死なねばならなかったのか』

『何故救われなかったのか』

『お前と我らと、何の違いがあるというのだ』

『そうよ、夜叉姫。次はお前の番かもしれぬ』

『いやいや、夜叉姫は既に物の怪』

『所詮は同じ……物の怪ではないか』

「……っ!」

水月は池から顔を上げた。

闇の中に自分の鼓動だけが響く。目をぎゅっと瞑って頭を振る。

(……落ち着け……ただの幻だ)

水月はもう一度池を覗き込んだ。

そこにはもう何もなく、ただ水面に水月の顔がゆらゆらと揺れているだけ。

ふうっ……。ため息をもらし、静かに立ち上がる。

闇だけを映している池。

池の中の闇から、冷たい瞳をした少女が見下すように此方を除いている。

「……化け物が」

水月は吐き捨てるようにそう呟いた。

 

 

 

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