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高明は一人で部屋から外を眺めていた。

春風が優しく頬を撫でる。見慣れた屋敷の庭は、高明の気持ちを一時だけ慰めた。

 小さい頃から過ごした屋敷。高明の両親を初めとする藤穂一族はここで暮らしている。

 女房達も、乳母も、高明によくしてくれる。周りの者達を不満に思ったことなど一度もない。自分は何と恵まれているのだろう、と思わずにはいられない。

「高明様、どうなさいましたの? この所、ご様子がおかしいのですね」

 はっと我に返った高明が振り返ると、そこには良く知った顔がある。

「……ああ、慶子か」

 小袿姿の賢そうな女は、高明の前で一礼した。腰の下で束ねた長い髪が肩を伝って足元へと流れている。

 慶子の兄は、乳母子として高明に仕えている。歳が近いためか、慶子とは幼い頃から共によく遊んだものだ。

 元服を済ませた男と、裳着を済ませた女が公に一緒にいることはそうないのだが、小さな頃から仲が良かったせいもあり、慶子は時々、女房代わりに高明のもとへ訪れて雑用をしては、話をしていく。年頃の姫が何をしているのやら、と高明は思うが、聡明な彼女との会話は楽しいものなので、口に出したことはない。

「この所毎日、上の空ではありませんか? 気になることがございますの?」

「いや……」

 ―――――そんなのただの同情です。

 浮かんできた水月の言葉に、高明は秀麗な顔を歪める。

「……恋と、同情との境は何だと思う?」

 真剣な高明に、慶子は目の前の整った顔を見つめる。涼しげな横顔。優しいその顔には、秋の寂しさよりも、包み込むような春の日差しが似合う。武芸に秀で、雅も解する。そんな彼が女房や姫君の話題を独占するのは頷ける話で。しかし、彼は本気の恋をしたことがない。

 慶子は微笑む。

「相手に対する敬意と、切なさだと」

 高明は、何度か頷き、そして慶子に礼を言った。

 少しだけ気が晴れたような高明の笑顔に、胸をなでおろす。

「……ん?」

 高明は何かに気付いたように渡殿を見やった。

「……藤穂……高明様ですか?」

 愛らしい童女が、扇を持って現れた。差し出された扇には、文が乗せられている。

「誰の使いで?」

 文を受け取った高明の問いに、童女は首を振った。

「……?」

高明の心を悩ませている姫からの文だと思ったのだろう。慶子は、冗談混じりに言った。

「お相手の姫は一体どんな方ですの? これを聞いたら、都中の女達が悲しみますわ」

 いつもならそこで、彼は苦笑するはずなのに、と慶子は訝しげに高明を見た。彼は、真剣な面持ちで文に見入っている。

「高明様? 何か……悪い知らせでしたの?」

 高明はぐしゃりと文を握り潰した。

 穏やかな彼からは考えられないことに、慶子は驚きを隠せない。

「何でもない」

 そう言い残すと、驚いている慶子をそのままに、高明はその場を去った。

 

その文の最後には―――――『橘 典正』

 

 

【四、桜風】

 それは空虚だが、また満たされてもいる。

 混沌とした闇から生まれ、闇に死ぬ者。決して光の中では生きられぬ者。

 闇の中、風に柳の枝が揺れれば、そこに影が留まる。雲間から顔を出した月が、その姿を照らし出した。

 世界を包むのは、深い静寂――。

 月だけが夜の都を見守っている。

深々と降り注ぐ冷たい月だけが。驚きもせず、諌めもせず、ただただ見つめ、照らしている。

「……」

 気付けば、いつの間にそこにいたのか、青白き月を背に、化け物を見下ろしながら立っている一人の女。

 白い姿であった。

 月光を浴びて、白い狩衣が輝く。その袖を風が吹きぬける。

「斬!」

 暗い影は、女が投げつけた札を避けると、一定の距離を置いて女に向き合った。

 月光がその衣を照らしだす。その色は、深紫の―――。

「お前、この所都を騒がせている禁色の……」

 血色の瞳が闇に光っている。

『夜叉姫……』

「ほう、私を知っているのか?」

『此方につかぬか? なあ、夜叉姫』

「断わる」

『何故に人などに味方する。人間など愚かしい生き物よ』

 暗い影は呟く。

『財産、権力、名誉……様々な欲望と妄想、焦燥、畏怖、そして生への倦怠。お主には見えぬか? 人間達の怯える心が。ほうら、せめぎ合っている哀れな心……』

 水月はその言葉に紫の瞳を細めたが、何も答えなかった。

「だから鬼になどなったのか」

 女は、冷たく凍てついた空気を纏っていた。作り物のように整いすぎた顔には、喜怒哀楽どの色も浮かんでいない。

 赤い瞳が、獲物を見つけた野獣のように輝きを増した。

『ほんに、恐ろしき眼差しをしておる』

 鬼は低く喉を鳴らすと、哀れみの含まれた声で嘯いた。

『哀れよなあ。己の闇に震える……。その闇からは永遠に抜け出せぬというのに』

 月が冴え冴えと都を照らしている。

「喋りすぎだ。とにかく、お前を見逃すわけにはいかぬ」

 闇に、乾いた風が吹きぬけた。

木々が不気味に揺れている。

 静寂を破ったのは、闇を切り裂く閃光―――。

 

*    *    *

 

 橘 典正と名乗る者から文を貰って以来、高明の心は穏やかではなかった。

 夕暮れ時の庭では、木々の緑までもが夕日を浴びて赤く輝いている。真っ赤に染まった空はまるで泣いているようだ。

春だというのに、雁が一羽、群れもなさずに夕日の中へと消えていく。

 頑なに心を閉ざす水月の気持ちが少しだけ分かったような気がした。

高明は、夕日に照らされた端正な顔をゆがめた。 典正は、おそらく水月の肉親なのであろう。典正という男が高明に送った文には、『夜叉姫』の残虐性が事細かに書かれていた。悪いことは言わぬから、手を引かぬと命が危うい、と。

 やり場のない憤りに、高明は拳を握り締める。どうして、彼女がこんな目に逢わなければならぬのか。彼女が何をしたというのか。

 ―――――どうしようと、人など信じません。

 彼女は信じたかったに違いない。それでも、信じられる者など、何もなかったのだ。

 高明は夕日に背を向けると、清彦に車を用意させるように下人に言いつける。

今日もあの人の所へ行こうと思う。寂しさに気付かぬふりをして強がっている、愛しいあの人のもとへ―――。

 

 

「……誰か、誰か。おらぬのか?」

門前で声を上げてみても、誰も答える様子はない。いつもなら能面のような女房が出迎えてくれるはずなのだが……。

(何かあったのか?)

この物騒な世の中、何があっても不思議はない。高明はいてもたってもいられなくなってしまった。

「!」

 闇の中に気配を感じ、目を凝らすと、薄闇の向こうに白い衣が浮かび上がった。こんな夜更けに姫君が一人でどこへ行っていたというのか。ともかく、水月の姿を見て、高明はほっと胸を撫で下ろす。

「水月殿」

 駆け寄った高明は、水月の様子に思わず足を止めた。

「……水月殿?」

 白い衣の肩の部分が、どす黒い血で染まっていた。

 水月は、まずい所を見られたように小さく笑って、肩を押さえる。

「大したことはないのです」

「姫君が怪我をして、大したことがないはずがありますか!」

むきになった高明に、水月は微かに口許を綻ばせた。が、すぐに苦痛を堪えているように眉間に皺を刻む。

 ぐらり、と彼女の体が揺れる。

 咄嗟に高明が受け止めなければ、水月はそのまま地面に倒れてしまっていただろう。

「水月殿!」

 高明の呼びかけに、水月は辛そうに高明を見上げ、支えている高明の手を払いのけた。痛みに眉を寄せ、額に汗まで浮いているというのに。

「失礼!」

高明はひょいっと水月を抱き上げ、門をくぐる。

軽々と抱き上げられた水月は、何とかその腕を解こうと抵抗を始める。

「怪我をなさっているのでしょう! 少しは人に頼りなさい!」

高明は立ち止まりもせずにそう言い放った。

諦めたのか、水月はもう抵抗をしなくなっていた。

 

 

ガランとした部屋。そこにあるのは、部屋と部屋を区切る襖障子と屏風だけ。そんな部屋に、几帳がぽつんと置かれている。その前に高明は座していた。

几帳の向こうから、微かな衣擦れの音が聞こえてくる。

「……大丈夫ですか?」

 高明は、几帳の向こうへ気遣わしげに声をかけた。

「花巻や、女房達はどうしたのです? 先ほどから姿が見えませんが……」

こんな時なのだ。手伝いくらいするものだと思う。高明が彼女を部屋まで運ぶのだって、一苦労だったのだ。抱き上げた水月はいつの間にか意識を失ってしまうし、ただでさえ分かり難い造りなので、女房なしでは何処へ行っていいのかさえ分からなかった。

「女房がいなくて何か困ったことでもありましたか?」

「私のことなどどうでもいいのですよ! 怪我をなさった時くらい、誰かに頼ればいいのです!」

 その言葉に、几帳の向こうからクスクスと笑い声が聞こえてくる。

「? 何がおかしいのです?」

「失礼。貴方は変わっています。私の所に懲りもせずに通って来たり、他人のことにそんなに本気になって」

「他人のことを心配しているわけではありません。貴女だから心配しているのですよ」

 高明は半ば拗ねるようにそう言った。

「ここには元々女房などいないのです」

「え?」

 水月はきっと、几帳の向こうで少しだけ意地悪そうに微笑んだだろう。

「驚きましたか? 元々人などおりません」

 姫君に、下人や女房の一人もついていないというのは珍しい話だ。高明は急に屋敷が広く感じられた。

「では、こんな広い屋敷にたった一人で?」

「気にするようなことではありません。もう慣れてしまいました」

「危険が多すぎます。姫君が何故こんな……」

 やがて、二人を隔てていた几帳が脇に動かされる。水月の無事な姿に安心した高明の頭に、次々と疑問が浮かんでくる。

「何故、怪我などなさったのですか?」

「質問が多いのですね」

「気に障りましたか?」

「いいえ。どうせこの体では、もう外出は出来ませんから」

 心なしか、顔色がいつもより悪いだけで、彼女に変化は見られない。水月が帰ってきた場所に居合わせなかったら、高明は何も気付かなかったに違いない。

 水月は僅かに顔を歪めた。

「……禁色の衣の鬼をご存知ですか?」

 高明は黙って頷いた。

「あの鬼に出会ったのですが――」

「何故そんな無茶なことをなさるのです!」

 心配そうに顔を曇らせている高明に、水月は答えない。

「……では、せめて私を連れて行ってくださいませんか? 確かに相手が人でないとなると勝手が違うでしょうが、もしもの時は貴女の盾くらいにだったらなれる」

 高明の瞳は真剣だった。しかし、彼女は首を振る。

「……申したでしょう? 私は人など信じない」

「何故です? 人だって……そんなに捨てたものではありませんよ」

 水月は薄桃色の唇を歪めると、ゆっくりと話し出した。

「……春の日差しのような笑顔を浮かべる『光の君』には分からぬかもしれませんが、この都は、平安とは名ばかりの弱肉強食の世界。たとえ神であろうとも、権力者には敵わない。逆らわないことです。それが上手く生きるコツだ。人間は元々、自分達と少しでも違う者を見ると、嫌悪感さえ抱くらしいですから」

水月は忌々しそうに髪をかきあげ、自分に言い聞かせるように続けた。

「山より高い誇りなど何の役にも立たない。風のように生きることです。また風向きが変ろうともその風に乗ることができる。……人は裏切ります。だから信じません」

「私は決して裏切りません」

 キッパリと言い放った高明に、水月は皮肉にふっと口許を歪めた。

「……残念ですが、信じることは出来ません。言葉では何とでも言えるのですから」

 水月は言葉を切って、高明から視線をそらした。

高明の脳裏に、握り潰した文の内容が浮かび上がる。

「こんなことを話すつもりはありませんでしたが、ある女の話をしましょう。一人の少女の話です。可笑しな少女だった。そう、人が普通と形容する子供とはかけ離れていた。彼女は不思議な……否、忌まわしい力を持っていたのです。力を使うと紫に変化するその瞳は、呪の証だと言われています」

自嘲気味に話す彼女がたまらなかった。

何故笑うのだ。泣きたかったら泣けばいい。嫌なら嫌だと言えばいいのに。どうしてそうしないのか。どうして、そうできる場所を、こんな少女から奪ってしまったのか。

「その一族には百年に一度、鬼の呪によって、忌まわしい力を持った女が産まれてくる。そうして生まれた女を、肉親達は何故今まで殺さずにおいたのか――否、恐ろしくて殺せなかったのでしょうか。どちらにしろ、彼女は生きながらにして既に鬼。人は彼女を恐れ、彼女は人を疎んだ」

「……貴女は人がお嫌いか?」

口から自然にその言葉がついて出た。

水月は、質問には答えずに曖昧な笑いを浮かべる。

「少々話しすぎてしまいましたね。こんな話をするつもりではなかったのですが……貴方はつくづく不思議な方だ。否、私が疲れているのでしょうか」

高明は改めて屋敷を見回した。本当に誰もいない。人の気配も、生活の匂さえもない。そこは美しい空間だが、虚しい空間だ。

「水月殿……私は、都中を捜し求め、やっとのことで貴女に出会えた。そう簡単には諦めませんよ」

高明はあの光の君の顔でそう告げた。それは高明の精一杯の虚勢なのかもしれない。

すうっと大きく息を吸い込む。

「力になりたいのです。私の屋敷に来て欲しい。屋敷には女房達も大勢います。不自由はさせません」

この前の言葉とは心持ちが全く違った。もう同情などとは思わない。この気持ちは恋だ。この門を初めてくぐった時は自分がこんな感情を抱くことなど夢にも思わなかった。

「……奇麗ごとを……」

高明は臆することなく続けた。瞳には雲一つない。

「信じてくれ。決して悪いようにはしない。本当に屋敷に迎え入れたいと思っている」

本気だった。水月が承知すればすぐにでも彼女を屋敷に引き取るだろう。頷いてさえくれればいい。自分の屋敷で、彼女を大切にする。もう化け物なんて人に罵らせたりはしない。

そんな高明を見つめていた彼女は静かに首を振った。

「私を側室にすると? 貴方は何も分かっていない」

「何が分かっていないというのです!!」

カッとした高明は、思わず声を荒げていた。何を言ったら信じてくれる? どうしろというのだ。ずっとこのまま、この屋敷にいるというのか? たった一人で、孤独に震えながら?

水月は高明とは対照的に静かに答えた。

「申したでしょう? 私は化け物。血も涙もありません。必要と有らば人も殺すかもしれない。貴方が思っているような女ではない」

嘘だ。

高明は知っている。高明が触れた彼女は確かに生きていて、他の誰よりも人間らしかった。血も涙もない化け物などでは決してない。

「心に決めた方がいらっしゃるのか? それとも私では不服なのですか?」

水月は首を振る。

青年に気付かれぬように、僅かに顔を歪めた。

幼い頃から自然と学んできた物が、邪魔をするのだ。

 誰もお前など信じなかっただろう? だからお前も、誰も信じなかっただろう? そうすれば傷つかずに生きられる。人との違いを思い知らされずに済む。誰にも化け物と罵られない。

 先にも後にも、自分はおそらくこれからずっと独り。いるべき場所など何処にもなくて、自分の位置さえ分からない。それでも、独りで生きて来られたじゃないか。

(それでいいではないか。一体、何を恐れる? 一体何を……)

まさにその時だった。

屋敷が何やら不穏な気配で満ちた。重く暗い気配。かすかに香るこの匂いは……血の匂い。

何かいる。物の怪の類においては、全く力のない高明にも、それははっきりと分かった。

水月を見れば、強い瞳で襖障子の向こうを睨んでいる。

確かに水月なら大丈夫だろう。いつもの彼女ならきっと。

(しかし今は……)

高明は腰の刀を確認するように握り締めた。そしてすくっと立ち上がる。

そんな高明に気が付くと、水月は諦めの色を隠すようにそっと目を閉じた。

「庭には鬼がいます。この部屋の向こうから門を出れば安全に逃げられる。何の心配もありません。さあ、おゆきなさい」

閉じた瞼の奥に、優しい笑顔を浮かべる青年の背中が見えた気がした。何人もの人間が水月に見せた背中。それは父の背中であり、継母の背中であり、兄の、そして多くの者の……。

彼もきっとここを去っていくだろう。きっともう、ここには来ない。ここを去って行った人間達のように、水月を化け物と罵るだろう。

口では何とでも言える。その通りだ。信じて傷つくのはもう嫌だった。裏切られ、思い知らされる。

―――――やはりお前は化け物だ。

人は……裏切るから。

(馬鹿だな……水月。まだ諦めていないのか?)

彼はここを去るだろう。しかし、それでいい。

ここから逃げて何が悪いのだ。当たり前ではないか。彼らはただの人間なのだから。

これでいい。呪われた『夜叉姫』にはここがお似合いだ。

青年は刀を握り締めたまま、その場に立っている。一度言ったことを撤回するのは自尊心が許さないのか、それとも恐怖で動けないのか。彼はそこに立ったまま水月を見返している。

高明は、確認するようにもう一度だけ水月を見つめ、そして、キッと襖障子を睨んだ。彼女が示した方向とは全く逆方向へと歩き出し、庭に面した襖を思い切りよく開け放つ。

「何をする! 貴方の勝てる相手ではない!」

高明は立ち止まろうともしない。

(勝てぬことくらい分かっている)

しかし、ここで逃げるわけにはいかなかった。後ろには何としてでも護らねばならぬ人がいるのだ。

水月は、青年の背中を見つめた。闇色の瞳が、驚きに見開かれている。

(一体、何故……)

闇に、獲物を狙う瞳が光り、荒い息遣いが聞こえてくる。闇に散る白い桜の前に、醜い鬼が立っていた。

高明の抜いた刀が、キラリと月光を映す。

「戻りなさい! 高明殿!」

水月の叫びが耳につく。

刀を振りかざした高明は、走り出した。

鬼に向かって斬りつける。鬼を斬りつけた刀には、あまりに軽い手ごたえしか残らない。

「高明殿! 何をしているのです! 貴方の刀で鬼は封じられない!」

「……」

それでも高明は怯むことなく鬼を睨む。

何を驚くことがあろう。勝てぬことなど初めから分かっていたのだ。

「高明殿!」

 鬼の鋭い爪が、容赦なく高明に振り下ろされた。やられたらひとたまりもない。

高明は、身を翻し、紙一重でそれをかわした。

ガタッ。

物音に高明が振り返ると、肩を庇いながらふらりと水月が立ち上がっていた。

「……貴方は馬鹿です……」

水月は搾り出すようにそう言うと、思うように動かない自分の足を叱咤する。

「高明殿! こちらへ! 高明殿!!」

高明は彼女の言葉を無視し、鬼に向き合った。ここで引くわけにはいかないのだ。何としても。

ガタン!

高明がもう一度振り返ると、縁には水月が倒れていた。肩で息をしている。

「水月殿!」

高明は彼女に駆け寄った。鬼のことなど気にしている暇はない。

抱き起こすと、水月の熱が伝わってきた。傷が熱を持ちはじめたのだろう。こうして起きているのも辛いだろうに。

「水月殿! 大事ありませんか?」

「……情けないことに独りで立つこともできぬようだ。高明殿、申し訳ないが、少しの間支えていてくださいませぬか?」

高明は素直に肯いた。片意地を張っても仕方がない。

言われたとおりに彼女を立たせ、肩に手を添えた。

「浄!」

彼女は手刀で空を斬った。

とたんに、目の前の鬼を光が包む。

鬼の額に風穴が開く。

鬼は激しい叫び声とともに消えて行った。

あたりは急に平静さを取り戻したように時が流れている。緊張の糸がプツリと切れ、高明は大きく息を吸い込んだ。

「また救われましたね、これで二度目だ」

高明が水月を見やると、水月は苦しそうに息を切らしている。

「水月殿!?」

高明が覗き込むと水月も虚ろな瞳で高明を見上げた。あの水月だとは思えないほど弱ってしまっている。

高明は慌てて彼女を抱き上げた。

「ご無礼を」

水月を抱き上げ、褥にそっと横たえる。

薄っすらと目を開いた水月は、高明の瞳の奥に何かを探しているようだ。

 桜色の唇が小さく動く。

「何故……」

「水月殿?」

意識が混濁する中、水月は鬼と戦う青年の姿が目に焼き付いて離れなかった。

  

どうしてここにいるのだろう?

寒くて体が凍えそうだ

何もない 誰もいない

鳥の声も 風の音もしない 静寂

 

―――――水月殿?

「……」

水月はまだはっきりしない意識で目を開けた。

薄っすらと空が明けてきた暁時。遠くで鳥の声がし、襖障子の隙間から朝の光が差し込んでくる。

起き上がった水月は、自分に掛けられていた衣と、殺風景な部屋に置かれている几帳、火の灯っていない灯台に気が付いた。

(……そうか、高明殿が)

灯台など、女房がいなければ何処にあるのか分からないであろうに。探すのに苦労したであろう、と苦笑する。

几帳を脇に避けると、そこにいたのはあの青年。見慣れた殺風景な部屋に、唯一彼女意外に存在している者。

「……全くおかしな方だ……」

壁に寄り掛かり、刀を付いて、片膝を立てたまま居眠りをしている。水月を護るつもりだったのか。

(育ちの良い方が、全く……)

彼女はそっと目を細める。

己の肩を見やると、怪我もすっかりよくなっている。熱もない。こんな時は、常人より回復が早い自分の体を恨めしく思った物だ。

高明が掛けてくれていた衣を、まだ眠っている彼にかけてやる。安らかに眠っていた青年は、まるで子供のように目を瞬かせた。

「……起こしてしまいまいたか?」

はっとした高明は、居ずまいを正した。

「肩の傷は……よろしいのですか?」

「ええ、何ともありません」

それを聞いた高明は、ほっと胸を撫で下ろしたが、急に声を落として言った。

「申し訳ないことをしました」

「何故です?」

「……また助けられた。貴女は怪我をなさっていたのに……意地を張らずに言われた通りに逃げれば、こんなことにはならなかったでしょう。私がいたために余計な負担をかけてしまって……」

水月はこんな人間に会ったことなどなかった。彼女の力を知って怖がるどころか、助けてくれようとする者がいるとは思いもよらなかった。平安の都に、こんな人間がいるなんて。

「謝るのは私の方です。貴方は何も悪くない」

高明は驚いて顔を上げた。何か言おうとした彼を水月が制す。

「……正直、貴方がいなかったらまずかった」

「え?」

彼女は何も言わずに首を振った。

「私は足手まといになってしまったのですよ?」

「そういうことではないのです……」

彼女はその顔を綻ばせる。冷たい瞳とは裏腹に、優しい笑顔。

「ずっと、そこにいてくださってのでしょう?」

「……いや、失礼だとは思ったのですが……」

彼女はその優しい笑いのまま言った。

「変わった方ね」

「私はただ――――」

 反論しようとした高明は、彼女の笑顔に口を噤む。

冷笑でも嘲笑でもない、花のような笑顔。

「少しだけ――」

 水月の言葉を、サワサワと舞い散る桜が邪魔をした。

花弁が舞う。

「え? 申し訳ない、風で良く聞こえぬのですが」

 聞き返した高明に、水月は何でもないと首を振った。

「今度は……いつ来てくださいます?」

「え?」

「待たせてばかりでは悪いでしょう?」

高明の顔に喜びの色が浮かぶ。

「明日にでも参ります」

高明はまるで少年のように微笑んだ。

そこにはもう、宮中の人気を独占する光の君はどこにもいない。喜びを胸一杯にかみ締めている独りの少年となっているのだから。

睡眠不足が嘘のように高明の心は軽かった。

 

 

*    *    *    *

 

 

天空の月に目を細め、苦笑を浮かべた。

どうかしている。

初めて彼がやって来た頃には、あの日差しのような笑みを疎ましく思ったものだ。

燦々と輝く太陽は、嫌いだった。まるで自分を諌めているようだったから。光の世界は嫌いだった。

「……少しだけ……」

 ―――――人は裏切る。だから信用しない。

 ―――――愛だの恋だのくだらない。

 ―――――人は所詮、独り。

闇ばかり見つめていたので、日の光が恋しかったのかもしれない。

彼がいる時だけは、隣であの笑顔を浮かべてくれる時だけは、鬼のことなど忘れて、こんな自分でも、まだ生きる意味があるように思えた。忌まわしい自分を、ほんの少しだけ忘れることが出来たのだ。

―――――少しだけ……。

桜がかき消したその言葉。

―――――少しだけ、信じてもいいのかもしれない、と思ったのです。

静かな夜は更けていく。

 

 

 

 

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