| 「提言」を使うのがいけないことで、 創作物のアイデアには著作権がない。 なら、小説を書くときは 他人の「ネタ」を盗んでも良いのかな? |
結論からいいます。 法的には問題ありません。 まず、覚えておいて欲しいのは「提言」問題と「ネタパクリ」「アイデアの拝借」を許す許さないは全く別のものです。 「提言」がパクリを防ぐためのルールだと考えているのなら、こちらの文章を読んで理解してください。 そして、もう一つ、「盗作」「コピー」「剽窃」などと言った行為と「ネタ」「アイデア」をマネする、影響を受けるというのを混同してはいけません。 例えば、サッカー選手を主人公にしたサクセスストーリーを読んで「自分も、サッカーのお話を書こう」と思い、実際に書くのは「ネタ」「アイデア」をマネる行為ですが、ストーリーやキャラクターが全く違うのであれば作品の「パクリ」「盗作」などではありません。 けれど、ストーリーの流れからキャラクター、情景、セリフまで克明にマネしてしまうのは「盗作」「丸パクリ」に近い行為で「ネタ」や「アイデア」だけをマネしたとは言えなくなってしまいます。名前だけ変えたり、性別だけ変えたようなもの、文体だけ変えてほとんど同じストーリー内容であるものなどは「盗作」と判断される可能性が高くなります。 しかし、物語が偶然に酷似してしまうと言う現象があることも事実です。 古代においてまるで交流のなかったと推測される複数の地域で非常に良く似た神話伝説が伝わっていることはよく取り沙汰されます。 これについては「超古代文明が存在した証拠だ!」などと主張するトンデモ学説好きの人もいると思いますが、取りあえず一番もっともな仮説では、生活環境や精神的な文化が同じレベルに達すると、考えつくものや求めるものも類似するため、このような現象が起こったのだろうと言われています。 ※詳しく知りたい人は「考古学」の分野と「脳に関する研究」を調べてください。「精神分析」や「心理学」などの分野も重要です。おそらく、もっと複雑で大量の「偶然の類似」に関する情報を得られることでしょう。 ということは、同じ国の似たような環境、同じような情報の中で暮らしている人同士が、良く似たお話を考えついても、それは当たり前と言うことになりますね。更に日本では知識や概念の均一化を図る「義務教育」と言うものが存在します。同じ年代の同じ教育を受けた人たちが、同じような好みや考えを持っていても不思議はありません。それだけに、創作の分野でも似たような物が作られる可能性が高くなるわけです。 更に、多くの人に受け入れられ愛される作品ほど、多くの人の嗜好に合っている=思いつく確率が高い、と言うことになります。「王道」「定番」などと呼ばれるネタやアイデアがこれに当たります。 何よりも「盗作」、または「剽窃」かどうかについての判断は大変微妙で難しい問題です。法律についても創作の歴史についても、著作者についても、確かな専門知識や信用できる情報を持たない人間が安易に結論付けることは出来ません。 ネタのマネ、類似について考える前に、それらのことをよく心得ておいてください。 ※アイデアの類似と盗作の違いについては下のサイトを参照してください。 提言騒動対象作品の検証サイト どんなに斬新なアイデアを使っても駄作は駄作。有り触れたアイデアからでも人を感動させる傑作は生まれます。 斬新な、あるいは好みのネタを借りてきただけで、そこに何の+αもなければ、それは先発に対し不敬に値するだけでなく、読む側は昨晩の残り物をそのまま出されたような気分になるでしょう。 想像してみてください。あなたがどんなに好きなメニューでも、全く同じ味付け、材料、調理法の食事を毎日、毎食、出されていたら、それがどんなに美味しくても、高級でも飽きてきませんか? きっと、他の人たちも同じことでしょう。 アイデアの被りや類似が読む側に嫌がられる本来の理由は、「盗作」だからではなく、そうした「残り物」的な感覚を読む側に与えるからです。 あなたのお母さんが毎日同じおかずをあなたに食べさせても、法的には罪になりませんが、あなたの気持ちはどうですか? しかも、それが近所のスーパーで買ってきたお総菜をお皿に盛りつけただけだったら? そんな食生活しか知らない人なら我慢するかも知れません。同じように、他の名作や独創的なお話を読んだことがなければ、「こんなものだろう」と納得するでしょう。けれど、この世にはたくさんの著作物が毎日のように産み出され、人々はそれを読む機会が与えられています。それだけ、読者の人たちは作品を評価する目を持っているのです。 あなたが作品を書くとき、考えるべきなのはそこなのです。 同じアイデア(材料)から、どれだけ新しい味わいと独自の美味しさを引き出せるか、それこそが創作の難しさであり、醍醐味でもあります。ネットにしろ、オフラインにしろ、作品を他の人に見せて評価して貰いたいのならば、その点に気をつけなければなりません。 そして、作品を受け取る側、読む人間としても勘違いしやすいのもこの部分なのです。 「パクリだ」「盗作だ」と感じた人は、アイデアの被りや類似のある作品を読んだときの「残り物を食べさせられたような」感情を、別の物に置き換えていませんか? もう一度冷静になって、よく考えてみましょう。 読者であるあなたが読んだ作品を晩のおかずに例えた場合、お母さんが出した夕食とは違いますよね?外のお店で食べるのと同じような物です。 そこで昨日あなたが食べたものと、非常に良く似たメニューが出されたとしても、「昨日と同じだから、下げてくれ」と言うのは、かなり恥ずかしくて失礼な行いだと思いますが、どうでしょう? その料理を注文したのはあなたのように、作品を読むか読まないかという選択もあなたの意思です。「店独自のオリジナリティーが感じられない」「口に合わない」と思ったら、二度とその店(HP)に行かなければいいのです。 わざわざシェフを呼びだして文句を言った挙げ句、店を閉めろだの、このメニューは他の店のにそっくりだから出すのを止めろなどと言い出したりしたら、きっと「オカシな人がいる」と警察に通報されたり、営業妨害として訴えられたりします。 HPをお店、作品はメニューだと考えれば「ネタパクリだから下げろ」「閉鎖しろ」と要求することが、どういうことなのか分かると思います。放っておいても廃れていくものの為に、犯罪者になりかねないような危険を冒すことはないでしょう。 どちらにしろ、理解して欲しいのは、先発を敬う為にするべきなのは、作品を取り下げたり自粛することではなく、そのアイデアを使って更に素晴らしい作品を創作し、広く知らしめることという考えです。 そうすれば「この作品を産み出すきっかけになったのは○○さんのこのアイデアです」「私は××という作品に影響を受けました」と発言することにより、先発の作品もまた多くの人に知られ評価されることになるでしょう。それこそが、過去、全てのジャンルにおいて行われてきた文化の伝承であり、発展の形なのです。 アイデアは著作権法で保護されてはいません。 しかし、そのアイデア、ネタを創作物の中でどう生かすのか、それには著作者の努力と工夫が不可欠です。それを怠れば、読む側の評価がきびしくなるのは当然です。 「ネタパクリ」と呼ばれ、蔑まされるのはそのためであって、法的な問題ではありません。 あなたが「別に読者のために書いているんじゃないもん」と思っていても、それは構いません。 発表した作品に対する他人の評価を気にしなければよいのですから。ただし、「あの人の作品、全然つまらないよね」「どこかで読んだような話ばっかり」「もうちょっとどうにか出来ないのかな」なんてあちこちで囁かれるのに堪えられないなら、そう言われないように創意工夫するか、発表せずに自分だけで密かに楽しむという選択もあります。 とにかく、何においても(書く側も読む側も) 実行する前に、その行動について、客観的に考えてみましょう。 それは社会的な人間として、一番必要なことです。 |