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 ある日、アパルトマンに帰宅すると、デスクの上のパソコンにメールが入っていた。二日後に少し会えないかという内容の、トロワ・バートンからのものだった。
 トロワ・バートン。この男はおよそ人付き合いということをしない俺に自分から連絡してくる、数少ない知人の一人だった。人に言えばずいぶんと物好きな、と結論づけられること間違いなしの変わり者だ。
 それはさておき、俺にはその日にはすでにいささか重要な予定が入っていた。----というより、月曜から金曜までの定日定時間をオフィスで勤務するごくごく普通の職に就いている現在の俺としては、休日でもない日の定時外でもない時間に体が空いているはずは当然ないのだが、奴の感覚はそういうものではないらしい----、まあ、仕方がない。俺はその日は指定の時間にメールの場所に行くことにした。さしあたって日を変えてもどうにかなる仕事であったし、実際久しぶりに会う友人だったし、メールや電話でなく直接話がしたいとトロワが言うなら、それほどの用件なのだろうと思ったからだ。
 それに、以前から俺は、なぜか奴の頼みは断りづらいのだ。

 

 

 俺の借りているアパルトマンから程近いカフェ。時間ぴったりにその店へ赴くと、果たして奴はテーブルの一つにいた。
「ヒイロ、こっちだ」
 年齢でいえばまだリセへ通っている奴なのに、昼下がりのカフェにまるで長年の常連客のようにとけ込んでいるから不思議だ。その友人に手招きされて、俺は奴の向かいの席に座る。
「用件は何だ?」
 自分と同じ年の奴のそんなふうに大人びた様子を見るのは、どこか劣等感を刺激されて落ち着かない。前に会った時と少しも変わらないトロワのやわらかそうな髪と、穏やかな目線。来た早々ここを立ち去りたい気分に駆られて俺が挨拶もすっ飛ばして切り出すと、奴は気分を害した様子もなく、のんびりとコーヒーを口に運んだ。
「まあ、急ぐな。何か飲むか?」
「・・・・・・」
 確かに、カフェに来て何も注文しないというのも居住まいの悪い話だ。俺は折よく注文取りに来た給仕にコーヒーを頼む。
「実は、引っ越すことになって」
「ああ」
 別に、驚くようなこともない。トロワも俺も、一般の人間から見れば繁(しげ)く住居を変えている方だ。
 しかし今までお互いに、引っ越すからといってそれをわざわざ知らせたことはない。住所や電話番号が変わっても、用事があればメールで事足りていたし、頻繁にメールをやりとりするほど俺達は親しい付き合いではなかったのだし・・・・・・。
「手伝いを頼みたいんだ。新しい住所に引っ越してからの荷解きなんだが」
「なんだ、そんなことか。----俺でよければいつでも手伝う。もう日取りは決まっているのか? 何なら荷造りも手伝うが」
「いや、それはいい。ヒイロが引き受けてくれて助かるな、並の業者よりよほど頼りになるから」
「どういう意味だ」
 そんなふうに軽口をたたいて、コーヒーを飲みながら二時間ほど話して奴とは別れた。
 結局大した用件ではなかった。わざわざ会うほどのこともなかったような気がするのだが、まあ、毎日顔を合わせる相手でもないのだし、時にはそんなことがあってもいいだろうと思うことにした。
 それに、普段知人とこういう時間を持つことをしないせいか、帰る道すがら俺はなんだか体が軽くなった気分だった。誰かとひととき会話をすることにこんな効果があるなんて、俺は今まで知らなかったような気がする。
 トロワの引っ越しは来週。俺のスケジュールではそのあたりは、少々仕事が立て込んでいた。
 だがどうにか日を空けるしかないだろう。どうも俺は、奴の頼みは断れないのだ。

 

 

 

 

「引越しと言うから・・・・・・、アパルトマンを借りるんだと思っていた」
 次の週、地下鉄から地方路線に乗り換え、名を聞いていた駅から歩いて一〇分。トロワ・バートンの新しい住所は郊外の、ゆったりした庭のある、ごくありふれた一軒の小さな家だった。屋根に風見鶏があって白い壁の、かわいらしい感じのする。
 だが今まで奴は、部屋やアパルトマンを借りたことはあっても家を借りたことはなかったはずだが。一人暮らしだから広い住まいは面倒だと、その辺は俺と気が合っていたのに。
「今度は少し長くなりそうなんだ」
 俺の問いに、トロワは少し困ったようにそう答えた。
 そして荷解きを手伝えと言われてやって来たにも関わらず、実際、家の中に大した荷物はなかった。家具はすべて造り付けになっていたし、冷蔵庫のような生活家電品もこれから買い揃えるのだと言う。残ったいくらかの衣類にパソコンとデータディスクだけの持ち物では、荷物の整理などトロワ一人の手だって二時間ですんでしまう。
(・・・・・・どういうことだ?)
 トロワはもともと、俺と同じで物を多く持ち歩く人間ではない。そもそも引越に人手がいるということ自体が妙な話だったのだが。
 俺は疑問には思いはしたが、まあ、たまの友人の頼みでもある。その件は口に出さずにおいた。
 ひと段落ついて、トロワは食料の買い出しに出掛けた。コンピュータの回線と電話の回線をつなぎ終えた俺はそのあとは手持ち無沙汰になってしまい、初めて訪れる家への興味もあって二階へ上がってみた。
 この家には一階にも二階にもテラスがある。小さな家なので部屋数は少ないが、あたりに高層建築もないので日当たりがよく、風通しもいい。前の住人が置いていったのだろう、テラスには白いテーブルと椅子が出されていて、俺はその椅子の一つに腰掛けた。
 頬に当たる日暮れ時のそよ風が、動いた後の身体にとても心地よい。傾いていく太陽が遮るものなく見られるなんて、都会にせせこましく住んでいる人間からすればとんでもない特権だと思う。トロワはいい家を選んだな、と、赤く空を染めて沈んでいく太陽を見ながら思った。
(俺もいつか、こんな所に住んでみたい・・・・・・)
 車の音がして、トロワが帰ってきたのだろうことがわかった。別にこれ以上手伝うこともなかったので、俺はこのテラスで休憩を決め込むことにした。
「何も礼ができないが、食事ぐらいはしていってくれ。簡単なものなら用意できる」
 俺の小休止を察したのだろう、トロワが湯気の立つコーヒーカップを持って二階に上がってきた。
「ああ。すまない」
「こちらの方こそ手伝ってもらった。感謝している。寒くないか?」
「いや、風が気持ちいい」
「今は気候がいいからな」
 トロワももう一方の椅子に掛け、そうして俺達はコーヒーをすすりながら、二人して西へ傾いていく夕陽を眺めていた。地平線近い巨大な太陽は、その残光を空いっぱいに広げ、迷い込んだ雲のひとつひとつまでを春の茜に染め替えていた。
 人間はなんで、地上を自分たちの作ったもので埋め尽くしてしまおうとするのだろうと思った。ありのままの地球は、こんなにも美しいのに。
 俺に背を向けて夕陽を眺めていたトロワが、おもむろに俺の方に向き直って言った。
「・・・・・・実は、ヒイロに今日ここへ来てもらったのは、引っ越しではなく別の理由からだ。おまえにもう一つ、頼みがある」
(来たか!)
 そう、今回のトロワの行動にはおかしなところばかりだった。それを今まで本人に訊ねなかったのは、こいつがこうまで勿体をつけるからにはよほどのことなのだろうと直感したからだ。
 実は先ほど奴の機材をいじった時に、プロテクトのかかったデータベースをこっそり覗いたのだ。多かったのはやはりマッケンナ公国に関する情報だった。最近になって金とダイヤモンドの鉱脈が発見されたこの小さな公国は、現在、三百年来の首長であるマッケンナ大公家と、武装した公国制反対派が鉱脈の利権をめぐって一触即発の状態にある----
 全身に、武者震いが走った。
「・・・・・・そう来るだろうと思っていた。それで、俺は何をすればいい? 今回はプリベンターも絡んでいるのか? マッケンナ公国は小さいが旧ヨーロッパの喉元だ。内戦が起これば周辺各国の欲得ずくの干渉が始まるだろうし、中でも隣国のブエナビアは陰で反対派を支援してこの機会に公国の領土を手に入れたがっている。だがヘレケやバゾスタのような大国が大量に兵力を投入したら----」
「ちょっと待てヒイロ。話を勝手に先読みするな」
 トロワが少し怒ったような声で俺を遮った。顔を上げると、すでに宵の近い薄闇の中、やはり奴の顔は怒っているようだった。
「違ったか? ああ、ではメソアメリカに造られているという噂の兵器工場の事か? それともインドの水爆研究所の件・・・・・・」
「だから、そういう事じゃない。ああ、俺だってこういう場面には慣れていないんだ。頼むから俺のなけなしの勇気を奪わないでくれ」
 トロワは怒りのせいかやや紅潮した顔で、それでも困惑したようにあちこちに視線を泳がせる。いつもは年齢にそぐわず落ち着き払っているトロワの、そんなうろたえた様子を見るのは初めてだ。
 どういうことだ? つまりトロワは俺も掴んでいない、おそろしく貴重な情報を入手したのか? 口にするにも慎重にならねばならないほどの。
 であればただ事ではない。俺も真剣に聞かねばなるまい。先の大戦が終結し、ようやくひとときの平和が訪れたばかりのこの世界に、また無用の戦火が起こることがあってはならないのだ。戦争で多くを奪われるのは戦争を始めた者ではない、それに巻き込まれる無力な一般市民達だ。だから、プリベンターのように”火消し”を自称する超国家機構や、俺やトロワのような人間が戦乱のなくなった今の世でもまだ必要とされる。一部の人間達のあやまった暴走を未然に防ぐことが、今となっては組織に属するわけでもなく、平時は一民間人として社会で生きる俺のようなエージェントの、残された任務なのだから----
「ヒイロ」
「何だ」
 真剣な面持ちで俺を見るトロワに、俺も姿勢を正して向き合った。
「この家に、一緒に住んでくれないか」
「任務遂行中は俺もここにいた方がいいということだな。わかった、そうさせてもらう」
「いや、そうじゃなくて。この家を、おまえの家にする気はないか、と言っているんだ」
 ・・・・・・少し、俺はわけがわからなくなった。
「何を言っている。この家は今日、おまえ、トロワが越してきたばかりだろう」
「だから、ヒイロも一緒に住まないか、と言っている」
「ここの家賃はそんなに高いのか? ルームメイトと折半しなければ住み続けられないほど・・・・・・」
「言っておくがここは借りたんじゃなく、買ったんだ。そして俺は、ここで国際情勢の話をしているつもりも家賃の話をするつもりもない。ヒイロと、俺の、二人の話をしている」
「?」
 トロワは怒っているというより、苛立っているようだった。俺はきっと狐につままれたような顔(とは見えないいつもの無表情)をしていることだろう。俺とトロワの二人の話? ますますわけがわからない。
「この家とおまえが関係あるのはわかるが、俺に何の関係がある?」
 俺がそう訊ねると、あの伊達男のトロワがあろうことかがっくりと肩を落とし、肩を落とすにとどまらずにテーブルに突っ伏した。
「・・・・・・ヒイロ相手だから手こずるだろうと覚悟はしていたが、さすがにおまえの反応は俺の予想を超えるな。・・・・・・今のは、効いた」
「誉めてくれたところを悪いが、だから、何なんだ。新しい任務の重要な話ではないのか?」
「任務ではないが俺には重要な問題だし、おまえにもそうであってくれたらと思う」
 トロワがへばりついたテーブルから立ち直って言った。こいつもまがりなりにも元軍事エージェントだ、半端な背筋の鍛え方はしていない。
 いやな予感がした。理屈ではない、本能からの警告。
「トロワ、はっきり言ってくれ。問題点がわからなければ判断のしようがない」
「俺は最初にはっきり言った。この家に俺と一緒に住む気はないか、と。
 唐突なことを言っているのはわかっている。おまえにこんなことを言い出したところで露ほども理解されない可能性が大きいし、理解されたところで鳥肌立てて拒絶される可能性はもっと大きい。俺だってまさか友人相手にこんな感情を持つとは自分でも思わなかった。
 これでもいろいろ考えたんだ。失敗すれば俺は一生おまえに軽蔑され、かけがえのない友情も失うことになるからな。それでも、賭けに出ずにはいられなかった」
 頭の中で警告音が鳴り響く。いやな予感ははっきりと、即刻退避の命令文に変わる。
「賭け、など・・・・・・。俺はおまえのことを、良い友人だと思っている。信頼できる友人だ」
「俺はその友人という立場を卒業したくなったんだ」
 トロワの目には、静かだがはっきりとした意志が表れている。深い緑の色の瞳が、なんだか俺の知らない光をたたえている。
 なぜ今日のトロワはこんなふうに俺を見るのだろう? レッドランプが視界の左右で点滅し、最大級の緊急事態を俺に告げている。視野が狭くなり、口中から味覚が消え、鳩尾がむかむかして気持ちが悪い。だが、そもそも、どうして俺がここから逃げ出さなければならない? 目の前のトロワは、敵なのか?
「トロワ、俺はおまえを信頼しているし、兵士として尊敬もしている。それはおそらくこの先も変わらない。俺がおまえを軽蔑することはありえない。なのになぜ、そんなことを言う? おまえの方こそ、俺を信用していないということではないのか?」
「ヒイロ、そういうはぐらかし方は質(たち)が悪いぞ。ノーならノーとはっきり言ってくれた方がすっきりする。それとも俺を弄んで楽しんでいるのか?」
 俺ははぐらかしているつもりもないし、毛頭トロワを苛めて楽しんでもいない。
 ----紫色の夕闇の中、俺をまっすぐ見つめるトロワの顔が、怖いくらい、真剣だ。
 そのせいで、俺までトロワから目を外せない。トロワの視線が脅すほどにひたむきなので、勢い俺も席を立てずにトロワの顔を見続けることになってしまった。こんなに真摯に誰かの顔を見つめたことはこれまでないけれど、気づいてみればこいつの顔を見ているのは不思議と、嫌では、なかった。あたたかい色だな、と思っていたトロワの緑の瞳。睨み合っていてもその印象は変わることなく、冷や汗が全身を伝う苦しい状況を忘れて眺めてしまっている自分がいる。・・・・・・トロワの両の目に映っている、二つ並んだ、俺の顔。
 それに気づいて、自分の顔がばっと赤くなったのがわかった。変わらず俺をじっと見つめるトロワの目。俺だけを見ているトロワの目。俺の心臓が蒸気機関車みたいに大出力で走り出し、呼吸が苦しくなってきた。トロワは黙ったまま喋らない。その時間に比例して、俺の頬ばかり焼けた石炭のようにかっかと熱くなっていく。
 何か、話さなければと思った。とにかく、この、息をするにも不自由する状況を何とかしなければ。けれど、しかし、こんなときに何を言えばいい?
「あ・・・・・・、つまり、一緒に住もう、というのは・・・・・・、・・・・・・そういう意味か?」
「・・・・・・そういう意味だ」
「だが、しかし・・・・・・、俺達はそんなに親しい付き合いではなかったはずだが・・・・・・」
「俺にとっては充分だった。おまえにとって充分ではなくて、なおかつ不適格な付き合いだったと言われれば、俺は潔く引き下がるが」
「そう言われても・・・・・・。つまり、だから、俺が言いたいのは・・・・・・」
 トロワに隙は生まれない。俺はどうにかしてこの状況から逃れるべくひたすら頭を絞った。心臓はばくばく跳ね上がっているのに身体は金縛りにあったように動かない。いや金縛りにあった経験がないから金縛りとは本当にこんなものなのかどうかは知らないが。とにかく呼吸がうまくできず、考えがまとまらず、頭ががんがん痛む。身体の中をミキサーでぐるぐるかき回されている思いがする。
 このままではまずい。暢気にコーヒーを口にしてしまった過失を悔やんでももう遅い。全身から吹き出す冷や汗が脂汗に変わり、身体の底から、何かが音を立てて駆け上がってくる。・・・・・・限界は目の前だ。
 俺は気力を総動員して自分の口をこじ開け、奴を睨み上げた。
「なぜだ?」
「・・・・・・なぜ、と訊かれても・・・・・・」
 トロワの目が、怯んだ。
 今だ。
 俺は勢いよく椅子を鳴らして立ち上がった。
「ヒイ・・・・・・」
 立ち上がって歩き出そうとした俺の手首をトロワの手が掴んだ。
「ヒイロ、まだ話は----」
「・・・・・・吐く」

「え?」


 立っていることももうできない。俺は口を押さえてゆっくりとうずくまった----

「待て、ヒイロ、ここで吐くな! あと五メートル歩いてくれ! 吐くならトイレで・・・・・・」
 目の前はもう真っ暗だ。頭蓋骨の内側がわんわん響いてトロワの必死の声ももうよく聞こえない。
 奴に支えられて(なかば引きずられて)トイレに辿り着き、身体を折って吐いた。トイレに辿り着くまでには新しい家の床と、奴の手と、奴の服に多少の被害が出てしまっていた。吐いて、自分の吐いた臭いにまた吐いて、とにかく吐くものがなくなるまで吐いて、そのあとは身体のどこにも体力なんて残っていなかった。

 

 

  

 

 

 

 

 

 絞ったタオルで顔を拭かれて、俺はベッドの上に横になっていた。
 窓の外はもうとっぷりと暗かった。今の俺の気分と同じくらい、そこは暗澹とした夜だった。
「大丈夫か? すまない、まだ客用のきちんとしたものがなくて----」
 キッチンの方にいるらしいトロワから声がかかる。聞こえるか聞こえないかはわからないが、とりあえず俺は返事をしておいた。
「別に、かまわない」
 俺が寝かされているのがシーツのない剥き出しのマットレスのベッドの上で、掛けられているのが古い毛布一枚であろうと、トロワが詫びる必要はない。引っ越した当日の家に物が揃っていないのは当たり前だ。トロワだって今夜はどこかに宿をとる気でいたかも知れない。そんなところにぶっ倒れた、俺が悪い。
 ・・・・・・しかし。
 たとえ知らなかったにしても、体調の万全でなかった俺にいきなりとんでもない話を持ち出してショックを受けさせたこいつにだって、責任の一端はあるのではないか? これまでトロワはいつだってやさしげな被害者の顔をして、そのくせ振り回されていたのはいつも俺だったような気がする。今回はそれの最たるものだ。
 そのエセ被害者の足音が近寄ってきた。
「食事は」
「・・・・・・」
 俺は無言で首を振る。
「水くらいは飲めるな」
 奴に助けられて上体を起こし、俺はコップの水を二口だけ含んだ。
 醜態だ。まるでどぶねずみのような気分だ。それとも雨の中を逃げ回る負け犬。今の俺にはどちらがふさわしいだろう。結局俺は逃げおおせることはできなかった。
「ヒイロ、おまえ、何日寝ていない?」
 ごまかす気力も湧かないので、俺は正直に答えた。
「四日」
「そんなに仕事が詰まっているなら、俺の頼みなんて断ればよかったんだ。おまえはまったく、何にでも頑張るから・・・・・・」
 言えるか。俺は何にでも頑張るわけじゃない。誰かの頼みだから断れなかったなんて・・・・・・。
「おまえがそうやっておまえを大切にしないから、誰かがおまえを大切にしなきゃ釣り合いがとれないだろうと思った。さっき俺に、なぜ、と訊いたな。それが答えだ」
 もう寝ろ、と言うように、トロワが俺を元通り横にして、きちんと毛布をかけ直して出ていった。
 遠ざかっていく背中を見送りはしなかった。その後ろ姿に馬鹿野郎と叫びたい気分だった。あいつの心遣いが今の俺には嬉しいはずがないと、どうしてあいつはわからないのだろう。人にものを頼んでおいて、人の答えを聞かないなんて。
 窓の外を見上げると、夜空にぽっかり金色の月が浮かんでいた。あまりに見事な月なので、なんだか俺を笑っているように見えた。きっと本当に笑っているんだろう。先程の夕暮れ、俺は実際、こんな家に住んでみたい、と思っていたのだから。
『この家に、一緒に住んでくれないか』
 ・・・・・・俺は奴の頼みは断れないんだ。

 
 
 
 
 
  

(了)











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